'84モナコGP

 初めてプロストとセナがバトルしたGPという認識だったが、ステファン・ベロフというルーキードライバーの走りに魅了された。セナもかなり順位を上げてプロストを追い詰めてはいたものの残念ながらオーバーテイクシーンが殆どオンエアされず、ベロフの走りがクローズアップされた感は否めないものの、最下位スタートから3位にまで押し上げたのは雨以外の要素も大きいだろう。「通せんぼじじい」ことアルヌーをオーバーテイクしたシーンは圧巻だった。縁石どころか歩道に乗り上げてインを突かれてはさすがのアルヌーもブロックできない。
 序盤はPPスタートのプロストが独走。しかし雨が強くなるとマンセルにトップを明け渡した。この時点でマンセルは優勝、プロストはタイトルを未経験だったというから時代が感じられる。その後マンセルは単独でクラッシュ、なんとか走り続けたもののダメージが大きくリタイアする。セーブして走れば優勝できたかもしれないのに攻め続けて自滅するあたりがマンセルらしい。プロストのチームメイトにしてタイトルを争うラウダもスピンしてなにやら豪華なホテルの前に路駐してレースを終えた。ラウダのスピンというのは今宮さんが思わず声を上げてしまうほど珍しいシーンだったようだ。その後歩いてピットに戻る?ラウダをカメラは捕らえ続け、今宮さんによる「今エルメス通過です」などの実況がちょっと面白かった。マシンが停まっている脇を素通りしかけたがルノーのマシンだったので戻りじっくり中を覗き込んだりもしていた。
 軽い雨用のセッティングだったプロストは強くなってきた雨にてこずり周回遅れのアルボレートに煽られるほどペースが落ちた*1。まともに走れなくなったプロストはレースを打ち切れと懸命にアピールし、赤旗とチェッカーが同時に出される異例の結末。旗の手前でマシンを停めたプロストプロストオーバーテイクできて優勝したと勘違いしてウイニングランをしてしまったセナ。レースが続けられていればセナとベロフが優勝争いを繰り広げていただろう。
 この年の終盤にティレルが悪質な車両規定違反で失格となりベロフの成績も抹消されてしまったためモナコGP3位は記録に残っていないらしい*2。放送中に今宮純氏が何度も言っていたように、ベロフが生きていたらドイツのF1ブームはMSの登場を待つまでもなく到来していたのかも。'85に事故死したのが惜しまれる。

*1:直接のライバルであるラウダがリタイアして無理しなかったというのもある

*2:'90日本GPの鈴木亜久里3位は記録に残っているのでローラとは比較にならないほどティレルの行為は悪質と判断された?