三国志10

 ようやく天下をうかがえるようになった祝融軍。

  • 江陵→武陵→零陵と連戦 227年1−9月

 江陵には諸葛亮はじめ軍師がたくさんいて、攻めにくい地形だったことも合って攻城戦、市街戦あわせて2ヶ月かかる。10万以上の損害も出た。劉備と戦って以来の苦戦。
 武陵は5万程度の兵力しかいなかったため比較的容易に攻略。
 霊陵の敵もまた軍師主体で、同士討ちなどの計略により多数の兵力を失う。市街戦では落とし穴にはまりまくり・・・
 この戦いの間に曹丕が死亡し曹叡が跡を継ぐ。曹丕の君主期間は1年程度。短かったというよりは曹操が長生きしすぎたというべきか。

  • 荊南平定 227年9−12月

 戦争に勝っても敵武将は配下にならず、兵力は減り危険地帯ばかりが増えていく。かなり消耗している状態ながら、曹叡軍をこのまま放置してもろくなことにならないのは目に見えているので、引き続き戦争を行う。
 長沙は苦手な軍師がたくさん。さらに取り付ける城壁がほとんどないという難しい地形のため苦戦し、ほぼ2ヶ月かかって攻略。
 227年中に刑南を平定したかったので間髪いれずに桂陽を攻める。弓部隊中心の編成でとにかく敵部隊の兵力を削り、市街戦にもつれ込むも1ヶ月程度で攻略。

  • 今後の方針

 前線都市は長安、襄陽、江陵、長沙、桂陽、雲南の6都市。まずは228年早々に南海、交趾を攻略して雲南の兵力を活かす。あとは状況を見て荊北平定か孫権を滅亡させるかを選択。人材不足の祝融軍だけに、もう少し孫権に生き残ってもらって曹叡軍と争ってもらう方が都合がいいかもしれない。荊北平定の際、戦役を試せればいいなあ・・・