毛利名人スペシャル。私的には今回のBPRが一番面白かったかもしれない。
- 名人になったきっかけはスカウト
百貨店内のおもちゃ屋で子供が「このゲームできるかな?」とお母さんに言っているのを見て、「自分が攻略本をつくれば子供でもプレイできるんじゃないか?」と考えて同人誌をつくったそうな。その後色々とメーカーなどに売り込みに動いているうちにゲームの腕が目にとまり、ハドソンの全国キャラバンに抜擢され、3ヶ月ほどで名人になたのだとか。
自分がならなかったら誰か他の人が名人になってしまう、ということで何がなんでもチャンスを逃すまいと必死だったとのこと。
- 高橋名人とは引き分け(映画で)
スターソルジャーで対決。対戦成績は毛利名人の3勝2敗。でも総得点では高橋名人の方が上だったためドローということにされたらしい。
毛利名人の実家から歩いて15分くらいの場所で対戦をしたらしいのだが、会場の7,8割方が高橋名人ファンというまるでアウェイのような環境だったらしい。
ちなみに、映画の中にあったらしい修行シーンは全て仕込み。端で豆をつまんで移動させるシーンはある程度豆が積まれた状態から取り始めたのだとか。
- 今までで一番はまったゲームはドラクエ3
2に関しては、面白さ云々よりも復活の呪文がネックだったらしい。3は3で言いたいことは色々とあるみたいだが(バッテリーバックアップについてとか・・・)
- 実は13連射できていた毛利名人
映画を撮った十数年前当時。
ちなみに高橋名人の今の連射速度と同じらしい。
理由は運まかせな所、この当時のゲームならもっといろんなことができただろう、という所など。
- ゲームの腕では高橋名人よりも上
人気では譲っても実力は自分の方が上だと自負していたのだとか。高橋名人も「毛利君は別格」と認めていたそうな。
番組本編の1時間50分よりも、おまけの10分弱の方が内容は濃かったかもしれない(笑)
なぜなら、おまけコーナーは東京(と愛知)ではオンエアされていないから・・・
- 映画のギャラは高い
当時テレビのレギュラーをもっていた毛利名人だが、その10倍くらいもらえたのだとか。
- 高橋名人は「生意気な人」
「高橋名人と喧嘩とかしたことないんですか?」としつこく食い下がるつるのに対しての返答。
特に喧嘩とかはしたことないらしいが、なんか上から目線の発言が多かったのだとか。まあ8つも年上だし。