ついに武蔵丸までもが・・・

http://sports.yahoo.co.jp/headlines/20031115/20031116-00000039-mai-spo.html
2003年11月15日(土) 19時49分
<大相撲>横綱武蔵丸が現役引退 4敗目を喫し決意(毎日新聞

 大相撲の第67代横綱武蔵丸(32)=本名・武蔵丸光洋、米国ハワイ州オアフ島出身、武蔵川部屋=が15日、現役を引退することを決めた。福岡国際センターで行なわれている九州場所7日目の15日、平幕の土佐ノ海に敗れて4敗目を喫し、決意した。16日に会見を行ない、正式に発表する。

 武蔵丸は昨年の九州場所で古傷の左手首を痛めて途中休場し、11月、じん帯を移植する手術を受けた。その後は名古屋場所に5日間強行出場したほかは、秋場所まで6場所連続で休場。秋場所前に「九州で進退を懸ける」と語り、今場所での復活を目指していた。しかし、その後もけがの回復は遅れ、十分なけいこを積めないまま九州場所に入った。

 武蔵丸は89年秋場所初土俵を踏み、91年九州場所で新入幕。94年初場所後、大関に昇進し、同年名古屋場所では全勝で初優勝。96年1月には日本国籍を取得した。99年夏場所で2場所連続優勝を果たし、元横綱の曙に続く史上2人目の外国出身横綱となった。

 通算成績は779勝293敗115休。幕内成績は歴代4位の706勝(266敗115休)。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回。幕内優勝12回は外国出身力士としては最多だった。【井上俊樹】

 ◇ハワイの巨星、落つ

 第67代横綱武蔵丸(32)=ハワイ・オアフ島出身、武蔵川部屋=が15日、14年の土俵人生に別れを告げた。

 必死の土俵だった。2、3日目に連敗してからは星は一進一退。「とにかく足を前に」と言った武蔵丸。徐々に動きこそよくなってはいたが、この日の土佐ノ海戦で見られるように横の動きに対応できなかった。

 西支度部屋では「最後まで(相撲を)取るという気に変わりはないか」の問いに「ええ、出ますよ」と言った武蔵丸だが、福岡県宗像市武蔵川部屋宿舎に戻って、武蔵川親方と話し合いを持ち、午後7時すぎに引退決意を報道陣に通告してきた。

 8人兄弟の4番目として米領サモアで出生。5歳の時にハワイに移住した。高校でアメリカンフットボールのハワイ代表にも選ばれながら生計が苦しかったため、米国プロアメフットNFLの夢を断念。「体重制限がなく、食べて鍛えれば稼げる」と誘われ、89年秋場所初土俵を踏んだ。

 師匠や先輩の助言を素直に聞き、日本語の習得も早かった。その一方、ホームシックに何度もかかり、布団をかぶってしばしば泣いた。しかし武蔵丸が出世を目指した90年初めは、ハワイ力士全盛。小錦大関で優勝を重ね、曙も若乃花貴乃花の好敵手としてファンを沸かせた。そんな先輩に早く追いこうと、初土俵から2年後の91年名古屋場所新十両、その4カ月後には新入幕。94年初場所後、初土俵から所要27場所で大関昇進。曙に次ぐ当時史上2位のスピード出世だった。

 99年夏場所後に横綱昇進。弟弟子の出島関、武双山関が幕内優勝して大関へ。雅山関も続き、現在は角界最多の8人の関取を抱える武蔵川部屋のけん引車だった。

 「復活は一度死んだ人に使う言葉だから好きじゃない。アイル・ビー・バック(オレは戻ってくる)だ」と話した武蔵丸。現実は、そんな生きのいいコメントのようには行かず、"ハワイの最後の巨星"は沈んだ。 【上鵜瀬浄】

ここ最近の横綱の中では、ある意味最も品行方正な人だった。相撲協会にとってネックだったのは外国人力士である、ということくらいのものだろう。