岡部引退

http://www.netkeiba.com/より

岡部幸雄騎手が引退へ

 9日、JRA史上最多の2943勝を記録している岡部幸雄騎手(56、美浦・フリー)の引退が濃厚となった。10日に記者会見を行う予定。

 同騎手は67年3月4日、東京競馬場ヨネノハナに騎乗してデビュー(3着)。同年5月5日にミスコロナに騎乗して初勝利を挙げた。翌年にはハクセツで牝馬東タイ杯を制して重賞初制覇。その後も中央競馬のトップ騎手として君臨し続け、重賞165勝。G1・31勝(84年にグレード制が導入されてから)を挙げている。その中には、84年に3冠を達成したシンボリルドルフ(牡23、父パーソロン)、史上初のジャパンC(G1)親子制覇を達成したトウカイテイオー(牡17、父シンボリルドルフ)、93年菊花賞(G1)を制したビワハヤヒデ(牡15、父シャルード)、ジャックルマロワ賞(仏G1)を含むG1・5勝のタイキシャトル(牡11、父Devil's Bag)などがいる。今年は95回騎乗し、ダイワインディアナ(牡4、美浦増沢末夫厩舎)で制した初茜賞(1000万下)を含む3勝を挙げていたが、体調不良により、2月20日の甲斐駒特別(1000万下)に騎乗(11着)して以来、騎乗を取り止めていた。JRA通算18646回騎乗、2943勝(05年3月9日現在)。

 またひとつの時代がおわった。

◆岡部騎手のサンケイスポーツ独占手記
 悔いがないといったら、嘘になるかもしれない。でも、今が引き際と思い、自分自身に悔いがない騎手生活だったと言い聞かせている。

 引退については、ずいぶん前から考えてきた。柴田政人君、福永洋一君、伊藤正徳君をはじめ、馬事公苑“花の15期生”、最強世代といわれてきたことを誇りに思うが、若い頃から仲間内で「一番最初にやめるのはオレだ」と言ってきた。それくらい、自分は素質がないと感じてきた。

 それでも馬に乗ること、レースに参加することが楽しかった。勝てば、もっと楽しく感じた。やめるのは、その楽しい気持ちがなくなった時だと決めていた。

 引退を本気で考えたのは、2月20日の東京競馬が終わった直後。しばらく勝てなかった(55連敗)のはわかってはいたが、勝利よりも、寒さの影響で体が動かず、思うような騎乗ができないことがショックだった。

 暖かくなれば、まだ大丈夫かなという気持ちもあった。だが、復帰したところで馬に迷惑をかけることの方が怖かった。それに親しくしているアイルランドの超一流ホースマンに、レスター・ピゴットの話を持ち出されたのがこたえた。ピゴットは英国の至宝騎手で50歳代後半まで乗ったが、晩年はボロボロだった、と話されたのも、自分のことを言われているのかと感じ、ショックを受けてやめる決意をした。

 思えば、本当にいい騎手人生だった。最初の勝利だったミスコロナが、自分もこの世界でやっていけそうだという自信めいたものを与えてくれた。その後はシンボリルドルフに巡り合ったことで本当の自信がついた。日本の競馬史上最高の名馬だと確信しているし、血統が急速に改良されている現在、彼よりも強い馬はいくらでも出ると思っているが、無敗の3冠馬なんて、永遠に出ないくらいに思っている。

 今はしばらくのんびりしたいし、応援していただいた方には感謝の気持ちで一杯。どこよりも競馬に力を入れているサンケイスポーツのこの場を借りて、お別れのあいさつをさせていただきます。