実は目が見えていた鑑真?

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[鑑真] 来日時、失明していなかった−定説に新見解【奈良博室長】

 30日に開幕する第56回正倉院展で28年ぶりに公開される正倉院塵芥(じんかい)文書第35巻の「鑑真奉請経巻状」が鑑真の自筆であり、当時鑑真は完全に失明していなかったのではないかとの新見解を、奈良国立博物館の西山厚資料室長が正倉院展図録の中で明らかにしている。同書状の細部の書跡を精査した上で導き出した結論で、今後の同文書の研究に論議を投げかけそうだ。

 この書状は、来日を果たした鑑真が東大寺の良弁に経典の借用を申し出た内容で、現存する鑑真唯一のものとして知られる。鑑真の伝記「唐大和上東征伝」によると、鑑真が失明したのは天平勝宝2(750)年。このため、同6(754)年に書かれたとされる唐の書儀に沿った書状は、鑑真が指示し、弟子ら別の人物が代筆したとの説が半ば定説となっている。

 これに対し西山室長は、書状が記された状況を、(1)だれかが代筆した(2)目が見えないまま自ら書いた(3)弱いながら視力が残っていて自分で書いた―との3つの仮説を消去法で考察した

 まず(2)の場合、書けないことはないとしつつも、四行目の「大品経一部」の「部」の訂正部分に着目。最初に書いた文字の上をきちんとなぞるような訂正は、目が見えない人には無理だと断言する。

 次に(1)では、現存する弟子たちの筆跡の中に一致するものがない▽三行目の「華厳経」を「厳経」と略している▽最終行の鑑真の署名が草書で簡単に記されている―との点を指摘。「弟子が代筆したなら略書はしないだろうし、崇敬する鑑真の名を思い入れ少なく軽い調子で書くことは考えにくい」とし、代筆の可能性の低さを強調する。

 こうしたことから、「視力は弱っていたかもしれないが、おぼろげには見えていた」と結論。書状が鑑真の自筆である(3)の可能性が高いとしている。
奈良新聞) - 10月29日11時3分更新

 一通の書状でこれまでの定説が覆されるのが歴史の面白さでもあり不確かさでもある。