イチロー262安打

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【MLB】イチロー、安打記録「262」まで伸ばす−2度目の首位打者獲得
 【シアトル3日共同】米大リーグ、マリナーズイチロー外野手は3日、当地でのレンジャーズ戦に「1番・右翼」で先発し、2安打して今季の通算安打を262に伸ばすとともに、打率3割7分2厘で、2001年に続き3年ぶり2度目の首位打者を獲得した。
 イチローは三回と八回に、いずれも中前打し、4打数2安打。今季80度目の複数安打で、記録ずくめだったシーズンを締めくくった。本塁打は8、打点は60だった。

◆最終打席もヒット−歴史的1年終えたイチロー

 ことしを締めくくる本拠地3連戦で、イチローは数え切れないほどの大喝采(かっさい)を受けた。八回の今季最後の打席でも、左投手の外角変化球を中前に巧打。この日2本目のヒットで、シーズン最多安打記録を「262」に伸ばした。超満員の大観衆が立ち上がって自分の名前を連呼するさまを、塁上で感慨深げに見守った。
 4月6日のエンゼルス戦で、今季初打席では遊撃後方へぽとりと落ちる安打。大リーグ史上に語り継がれるイチローの1年は、ヒットに始まり、ヒットで終わった。「(愛犬の)一弓(いっきゅう)とまず散歩したい。あしたから僕が休みになることが分かっているようで、今朝からソワソワしていますよ」。
 マリナーズは1度も勝率5割を超えることなく、最初から最後まで最下位。しかし、そんな逆境にも「完ぺきに何事もできる、というのは野球にはないことですが、そのための準備はすべてやった」と言い切る。 その結果が大記録更新と、3割7分2厘の高打率で大リーグ4年目で2度目の首位打者だった。
 「いろいろあって途中から休むわけにはいかなくなった。本当は、もっと休みたかったけどね」。今季、欠場はわずか1試合。どんな苦境でもファンを楽しませようとする姿勢を、貫き続けたシーズンでもあった。(共同)


◆「奪い取ったタイトル」−3年ぶり首位打者イチロー

 大リーグ4年目で2度目の首位打者である。「2年間お返ししていたものを、また取り戻した。続けることは大変だけど、一度なくしてから取り戻すのはパワーがいる。それについてはよかったと思っている」
 イチローは、そう感想を述べた後に「やっぱり取り戻したは、やめましょう。あらためて奪い取った、でいい」。意味合いは同じだが、より強い意志を感じさせる表現に言い換えたところに、このタイトルへの思いが伝わってきた。
 オリックス時代には7年連続で獲得した「指定席」だ。本場の分厚い選手層にはね返され、昨年まで2年連続で明け渡したが、ことしは2位モーラ(オリオールズ)に3分以上の大差をつけての返り咲きである。「これまでずっと(首位打者に)フォーカスが当てられることが多かったが、ことしは今日まで首位打者という言葉を聞かなかった。そこに満足しています」
 中学生のころ、級友の「20歳になったらクラスのみんなで集まろう」の呼び掛けに「僕はプロ野球の選手になって試合に出ている。その会には出られない」と真剣に答えて笑われた。2000年の渡米前、「メジャーで首位打者とか、だれよりもヒット打つとかだったら、野球をやめてもいい」と冗談で言った。当時、周囲はそんなイチローを笑った。
 それから4年。「今、同じことを言ってもだれも笑わなくなった。それは、僕にとっては大変気持ちのいいことです」(共同)


◆雪辱期す長谷川と木田

 長谷川はシーズンを通じ、防御率が5点台後半をさまよった。リードした場面での起用も球宴後は激減し、不本意な1年となった。それでも本人は「結果ほどしんどい1年ではない。自分でいろいろ考えてやったし、来年、再来年につながるようにしたい」とあくまでも前向きだ。
 終盤からマリナーズに加入した木田は「(春の腰手術の)リハビリが終わり、(メジャーに)上がってからが短かった。来年はどうなるか分からないが、またここに戻ってきたい」と話した。(共同)

イチロー打数も歴代2位

 イチローは今季最終戦の4打数でシーズン通算704打数となり、1980年ウィルソン(ロイヤルズ)の705打数に次ぐ大リーグ歴代2位となった。
 通算762打席は85年ボッグスレッドソックス)の758打席を抜いてア・リーグ新記録。また、大リーグ記録を更新していた年間単打数も、この日のシングルヒット2本で「225」に伸ばした。(共同)

◆首相「日本選手ここにあり」−細田氏「栄誉賞に値する」

 小泉純一郎首相は4日、米大リーグ・マリナーズイチロー外野手の活躍について、記者団に「偉大だね、この記録は。これまでの努力と天賦の才能だ。素晴らしい選手だね、まさに日本の選手ここにありということを米国でも示してくれた」と称賛した。
 細田博之官房長官は同日午前の記者会見で、国民栄誉賞などの表彰の可能性に関して「業績は従来の国民栄誉賞受賞者に負けない。五輪の金メダルと同様あるいはそれ以上なのは確かだ」としながらも、2001年秋に本人が受賞を固辞した経緯があるため「本人の意向もある。今後の状況を判断したい」と述べた。

 すごい記録。一番下の二人は余計なコメント。