川相世界新!512犠打
コリンズ超えた
 おめでとう、世界新! 巨人・川相昌弘内野手(38)が20日、横浜戦の6回、1死一塁で通算512個目の送りバントを決め、犠打世界新記録を達成した。偉大な記録をナインが祝福するかのように試合も快勝。同じベテランの工藤が、40歳代では史上5人目となる完封勝利を飾った。

ドーム大興奮
 信じられないような光景だった。東京ドームが川相コールで埋め尽くされた。秘すべき作戦が公然となったのだ。2点リードの6回1死一塁。代打で登場した職人に、ベンチからの要求はバントだけ。世界新記録達成の瞬間は、常識を覆す状況で堂々と行われた。

 100%の成功を求められる雰囲気を背にして、バットがスッと体の前に出た。ドミンゴのカウント0―1、145キロの直球。高々とバウンドした白球が、世界一の犠打となった。「転がすのがやっと。あんまりいいバントじゃなかったけどね」と振り返った。

 いつもと同じように駆け抜けた。ドミンゴから一塁にボールが転送されて、512回目の成功。違ったのはその後だ。大歓声の渦の中、ナインがベンチ前で出迎えた。「自分が思っている以上に、周囲が盛り上げてくれて…」と素直な言葉が口をついた。

 時代が変わった。いや、川相自身が変えたのかも知れない。「バカヤロー。バントばかりしやがって、つまんねえんだよ!」とスタンドから中傷された時代もあったという。「最近だよ。こんなに犠打が認められたのなんて」苦節21年の男がポツリと漏らした。

 偉業を祝福するにはふさわしい演出。バントの伝道師となった父へ長男・勇太くん(15)がベンチ前で花束を渡せば、長女・成美ちゃん(10)はバットを持って駆け寄った。「子供たちがいるのが分からなかった」と照れ笑い。

 二塁の守備位置についても、涙がこぼれてしまいそうで顔をなかなか上げられなかった。そんな状況でも“守備の川相”もしっかりと魅せた。三塁に回った8回無死から三遊間、三塁線の当たりを連続横っ跳びの好プレー。「犠打だけではダメ。この年まで守れたことが記録となった」と胸を張った。

「燦然と輝く」
 最終回「ショート・川相」で原監督は偉業の演出を締めた。「もう1点にこだわった場面だった」とあくまでも、勝つための作戦の中での記録を強調した。「記録は破られるためにあると言うが、川相の記録は未来永ごう、燦然(さんぜん)と輝くものだ」と最大級にたたえた。

 試合後は、ナインから思いもしなかった胴上げをされた。そして乱れ揺れるオレンジ色のスタンドへ、走ってあいさつに向かった。「おめでとう」の声が乱舞する。バントとは?「僕の人生に似ている。大きなことは出来ない。コツコツとやってきた成果だと思う」この言葉が、多くの野球ファンの記憶に焼き付いたに違いない。(福角 元伸)

◆川相 昌弘(かわい・まさひろ)1964年9月27日、岡山県出身。38歳。岡山南ではエースとして81年夏、82年春に甲子園出場。82年ドラフト4位で巨人入団。84年に1軍初昇格。89年から遊撃のレギュラーに定着。ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞6回。家族は秀美夫人と3男2女。176センチ、74キロ。右投右打。

◆初犠打は85年

 巨人・川相昌弘選手(38)は20日、横浜25回戦(東京ドーム)の6回、投前送りバントを決め、通算512犠打の“世界新記録”をマークした。大リーグ記録は犠打、犠飛の区別がなかった時代のエディ・コリンズホワイトソックスほか)の511犠打。初犠打は1985年6月13日のヤクルト12回戦(福井)で記録している。
 
原監督が号令

 試合終了と同時に、一塁ベンチから集まってきたナインが、川相の下に集まった。原監督の号令で世界記録を達成した背番号6を4度、胴上げ。「自然の流れの中で胴上げということになった」と話した指揮官の顔も自然とほころんだ。偉大な記録保持者に対し、球団も敬意を表することになった。9月2日に川相の地元・岡山の倉敷マスカットスタジアムで行われる中日戦では、母校・岡山南の臼井敏夫元監督らによる花束の贈呈や、少年時代に所属した藤田軟式野球スポーツ団による始球式が行われることになった。 (スポーツ報知HPより)

 世界が気にしていない川相の世界記録・・・

 ここに来て中日が阪神に勝ち始める。何を今更という感じ。
 阪神も新人のピッチャーを使ったりと、半ば試合を投げていたようだ。